今回のブログは、英語科のH先生からです。


私は中学生の頃、英語に対して、あまり良いイメージを持っていませんでした。
This is a pen. (……これはペンですって紹介する意味はあるのかな?)
Will you tell me the way to the station?(……突然、英語で道は尋ねられることはないだろう)
といった感じです。

そうなんです。私は英語が大嫌いで苦手でした。そんな私が英語の虜になり、馬渕教室で教鞭を執ることができるようになったのも、自分の内なるプライドの変化に気がつき、その変化を良い方向へ導くことができたからです。

中学生の最初の中間テストでは、英語の試験結果は80点でした。アルファベットを書くこともままならない私は、「まあまあ取れた」と思いました。しかし、帰宅すると「何?この点数。悪すぎでしょ。」と家族から責められました。このときの試験は「アルファベットとローマ字」しか出題されませんでした。冷静に考えれば、小学校内容なんですね。

私はそのとき「自分を守るためのプライド」を持ちました。それは「悪いプライド」です。点数が取れないと、得点が記されているテスト用紙の右端を三角形に折り曲げました。点数を見られたくない。恥ずかしい。自分の得点が悪いことに目を向けるのではなく、自分を守ることに全力投球。まさしく「悪いプライド」です。言い訳ばかりの中学生時代を過ごしてしまいました。

高校受験勉強の真っ只中の冬、私に第1の転機が訪れました。ある試験で英語の記号問題がたまたま全問正解して普段より高得点が取れたのです。偶然のラッキ-パンチを私は喜びました。もしかして、できるようになるのかも? そう思い英語の勉強を1から始めようと決心しました。

ところが、この「1から始める」ことがどれ程大変か。「悪いプライド」がまたまた私を襲います。「3年生が1年生の勉強するなんてカッコ悪い」「今更、基礎英単語の勉強をしているところを見られたら恥ずかしい」そんな「悪いプライド」に苛まれ、勉強は思うように進みません。机に向かって10分保たずに他のことに気をとられ、なかなか集中力が持続しませんでした。

そんな中、第2の転機は突然訪れます。中学3年生も終わろうとしていたころ、通っていた塾が開催した「高校英語先取り授業イベント」での先生との出会いです。少しだけ英語に興味を抱いた私は、このイベントに参加しました。当時の衝撃は今でも私を奮い起こしてくれます。この先生に出逢えなかったら、今このように英語の教師としてブログを書くこともなかったでしょう。後に教師として人生を歩み続ける私に多大なる影響を与えてくれた先生です。

先生との出逢いに衝撃を受け、私は自分が変わらなければと思いました。「この先生みたいになりたい」と思ったのが一番の要因です。そして遂に「自ら変わろう」と決心したのです。私は自分の「悪いプライド」を捨てねばならないと思い、机に向かい簡単な英単語の暗記から始めました。机に向かうだけでも苦痛だったのが、5分、10分と集中時間が伸びていき、最後には体力の続く限り集中できるようになりました。私は「良いプライド」を持つようになりました。自分の課題に真摯に向き合い達成していくというプライドです。

ちなみにそのとき、つねづね下手だと思っていた「お箸の持ち方」も矯正しました。自分の中に新たに生まれた「良いプライド」が、下手なお箸の持ち方を許さなかったからです!


人には「良いプライド」と「悪いプライド」があります。自分を守るだけの「悪いプライド」、自分を高めるために自分を見つめる「良いプライド」。結局、どちらのプライドを持つのかは本人次第です。

しかし、私は自身の経験を通じて、このように考えています。
「自分を変えるのは本人次第ではあるが、周りのサポ-トなくして自分を変えることはできない」

私はやる気もなく、「悪いプライド」を持つ中学生でしたが、両親はずっと「勉強できる環境」を私に与え続けてくれました。そして、自分を変えるきっかけとなる先生に出会うことができ、そのことがきっかけで「良いプライド」を持つことができました。

馬渕教室に通う皆さんが、このブログを通じて「良いプライド」に気づいてくれたら、こんな嬉しいことはありません。