数年前、家族で出かけた時の話です。 ある観光スポットを訪れていると、家族連れらしき人たちが写真を撮ろうとしているのが目に入りました。 その家族のお母さんが、辺りにいた二人の息子さんに呼びかけているのが聞こえました。 「たくみ~」「まさし~」「ここで写真撮るからこっち来て~」 観光スポットならありがちな光景ですが、私と私の家族は顔を見合わせて驚き合いました。 なぜなら、私の氏名は「たくみ まさし」だからです。

そんな不思議な『出会い』があるのものなのか、と強烈なインパクトを残して今でも忘れられない思い出となっています。


現在、多くの生徒が馬渕教室に通ってくれています。

世の中少子化云々言われていますが、非常に多くの生徒がいる中で、近隣にいくつも塾がある中で、馬渕教室を選んでくれた生徒との『出会い』は特別な縁に導かれたものだと不思議に、そしてありがたいと感じ入っています。(もちろん、成績向上・志望校合格のために役立つ塾だと選んでいただいたのは根拠のある必然だと信じています)。

そんな馬渕生と日々接する中、感心させられ嬉しく感じることがたくさんあります。 そのうちの一つが、きちんとお礼の表現ができることです。

例えば、授業後、駐輪場で自転車を出す時、詰めておいてもらっているために出しづらいことがあります。 私たち教師は生徒達が困らないように毎日駐輪場に出て、自転車を出しやすいように整列させたり動かしたりするのですが、困っている生徒には隣の自転車をずらしてスペースを作るなどの対応をします。極めて当たり前のことをしているのですが、手伝ってあげた生徒は必ず「ありがとうございます」と言ってくれます。それも中学生だけでなく、小学生であってもしっかりとお礼の表現ができるのです。

駐輪場だけではありません。授業中に消しゴムを落とした時、生徒自身が拾うと周りの生徒に迷惑をかけそうなら、拾ってあげることもあります。やはり、「ありがとうございます」と返ってきます。学年に関係なくです。たとえ言葉ではっきりと「ありがとうございます」と言えなくても、頭をペコリと下げて気持ちを表現してくれます。

当たり前のことだと思われるでしょうが、「ありがとうございます」と言葉に出して表現する、あるいは頭を下げて気持ちを表現する、という当たり前のことが、大人でも子どもでも本当に誰にでもできているのでしょうか。残念ながら、私はそうは言い切れない気がしています。

そんな中で、馬渕生の姿勢には感心せざるを得ません。小さなことに対しても「ありがとうございます」と表現できるのは、大げさに言えば感謝の心をしっかりと持っている、あるいは今後も生きていく中で自分を支えてくれている人たちに感謝ができるようになる、ということだと信じています。

生徒の成績向上・志望校合格が私たちの使命であるのは当然ですが、人として大切なことをわかってくれている馬渕生を誇りに思いますし、今後も当然の使命とは別に、学力も人間力も共に備えた馬渕生を育てていけるようになりたいです。それが、『特別な縁があって出会えた』馬渕生に対して行うべきもう一つの使命であると信じています。